長谷文庫について

長谷文庫は、藪原神社奥谷社家に伝存する、平安末期から
現代までの資料の保存管理および調査研究を主な目的とし
広く国内外に、日本の源泉である神道をはじめとする
文化や伝統を発信共有することを目的とする文庫です

ご挨拶

ご挨拶

およそ三十万社とも四十万社ともいわれる全国津々浦々にご鎮座している神社はひとつとして同じものがありません

そしてそれぞれの神社で例年斎行される祭礼にもひとつと同じものがありません

文化とはその土地の時間の蓄積でありその蓄積が織り成す色を個性といいます

神社と祭礼を例にとっても豊かな文化と個性を伺うことができます

人間の核である情緒を豊かに育むものが生れ育った土地の文化と個性であることは洋の東西を問いません

当文庫の活動が、少しでもこれに資することができるならばこれに勝る喜びは他にありません

長谷文庫
理事長 奥 谷 彩 心

理事長 奥 谷 彩 心

おくたに さら

ドイツ連邦共和国バイエルン州メミンゲン生まれ。

ケルン大学にて日本学、英学、スペイン学を専攻、東北大学へ留学。

大学卒業後、日本テレビ、 いすゞモーターズヨーロッパ欧州統括マーケティングマネジャー、欧州味の素食品社マーケティングマネジャー 、ドイツ商工会議所マーケティングマネジャーを経て現職。

母国語である日本語、ドイツ語のほか、英語 、スペイン語 、ラテン語に堪能。

プロジェクト

人間の重要な核となる「情緒」を豊かに育むことに資するためのプロジェクトを積極的に展開することは、当文庫の要のひとつです。是非みなさまにご覧いただき、なかにはご参加できるものもありますので、ご一緒に力を合わせて取り組むことができれば幸甚です。

また当文庫の主要活動である、伝存資料の保存管理に伴う調査研究(非公開)のうち、外部機関と共同で進めている学術調査研究のプロジェクトの一部をご紹介します。

神札

奥谷家に伝存するお札の版木群を修復、分類と図象分析を行い、版木から奉製した神札をコレージュ・ド・フランスのお札コレクションに収蔵するプロジェクト

令和元年(二〇一九)より、フランス国立高等研究院東アジア文明研究センター(CRCAO)、フランス国立科学研究センター(CNRS)、コレージュ・ド・フランス(CdF)など複数の仏政府機関と共同で、長谷文庫に伝存する中世から現代までの神札の版木群およそ二〇〇枚の修復、分類と図象分析を行っています。

全ての版木群の分類と図象分析が完了したのち、版木から神札を奉製し、奉製されたお札はコレージュ・ド・フランスの日本学高等研究所に寄託されている「ベルナール・フランク・コレクション」に新たに加えられ収蔵されます。

コレージュ・ド・フランスに収蔵されている「ベルナール・フランク・コレクション」はコレージュ・ド・フランスの初代日本学講座の教授であったベルナール・フランク(一九二七-一九九六)が収集した日本のお札コレクションで、欧州三大コレクションといわれるもののひとつです。

ほかの二つのコレクションは、英国の日本語学者で東京帝国大学教授バジル・ホール・チェンバレン(一八五〇-一九三五)が収集したコレクションがオックスフォード大学ピット・リバース博物館に、フランスの民族学者アンドレ・ルロワ=グルアン(一九一一-一九八六)が収集したコレクションがジュネーブ市の民族学博物館にそれぞれ収蔵されています。

明治天皇木祖御膳水井戸

町屋岡田邸銭屋庭内の明治天皇木祖御膳水井戸および記念石碑を修復、貴重な歴史的文化財として後世に残すためのプロジェクト

明治維新を経て、天皇陛下が各地を御巡幸されることは、日本の歴史始まって以来のことで、当時の人々には大きな驚きがあったようです。

明治十三年(一八八〇)六月二十六日、明治天皇の木曽路御巡幸に伴い、侍従山岡鉄太郎子爵は係官を従えて、下見のため藪原へ来訪し、小休所を脇本陣であり問屋であった古畑又介宅と定め、飲用水を「銭屋」こと岡田清右ヱ門宅の井戸水を最良として採用選定され、小休の際この井戸水を用いられました。これを記念して昭和九年(一九三四)、長野県によって井戸脇に建立されたのがこの記念碑です。

記念碑は井戸の南傍に東に面して建てられ、頂部兜型の角柱で安山岩を用い、間知石積の基壇と切石の上台の上に建てられ、総高一五四㎝。碑の正面には「明治天皇木祖御膳水」の銘と、左側面には「長野縣」と建立者名が刻まれています。

碑の建立当時、井戸は新たに井桁が組み替えられた上に屋根をかけ、つるべ式の立派なものが造作されており、当時の小学校の児童達は教師に引率されて、社会見学として由緒などを聞きに行ったという記録が残っています。

町家岡田邸銭屋

中山道信州木祖藪原宿にわずかに残る、町屋岡田邸銭屋を修復、貴重な歴史的文化財として、また広く憩いと日本の情緒を感じる場として後世に残すためのプロジェクト

中山道六十九次三十五番目の宿駅である藪原宿は、江戸日本橋から約二六〇㎞、京都三条大橋から約二七四㎞、江戸京都を結ぶほぼ中間の距離に位置しています。

江戸ー京都の中間地点で、宿内に中山道最大の難所「鳥居峠」をひかえているため、皇族や公家、参勤交代の西国大名、朝鮮通信使、文人墨客など往来の人々が泊まる旅籠も密集していました。そのため、火事を出さないための宿場の統制は大変厳しかったという記録が残っています。

しかし藪原宿は、寛文二年(一六六二)から明治十七年(一八八四)の約二〇〇年の間に六回もの大火を経験しています。このため現在は当時の宿場の面影は薄く、防火高塀や広小路、町家や旅籠数軒をわずかに残すのみとなってしまいました。

この数軒のうちの一つが、藪原宿のほぼ中心部に残っている「岡田邸」で、「銭屋」という屋号の大きな商家でした。

岡田邸の総本家は屋号を岡田屋といい、戦国武将源義仲の四天王といわれる重臣のひとり樋口次郎兼光(不明-一一八四)を先祖にもち、代々米穀商と酒造業を営んでいました。総本家の分家には「銭屋」のほかに川上屋、奈良屋、近江屋があり、当時の宿場の経済を支えていたばかりでなく、木曽代官や高遠藩などへの巨額の財政援助も行っていた記録が残っています。残念ながら本家や他の分家の当時の建物はいまは残っておらず、この「銭屋」こと岡田邸を残すのみとなりました。

信州木祖名産木櫛お六櫛

櫛の神様をお祀りする八品社を奉斎する櫛挽の職人団が、代々心身を清めて奉製している木櫛、通称「お六櫛」を振興するプロジェクト

藪原神社の境内に、文化十三年(一八一六)にご鎮座した、櫛祖神を祀る末社「八品社」があります。この八品社を代々奉斎する櫛挽職人達によって挽かれている木櫛、通称「お六櫛(長野県知事指定の伝統工芸品)」の振興プロジェクトを、平成二十三年(二〇一一)より、当文庫がもつユニークな国際的ネットワークを活かし、独自に展開しています。

国外では、欧州の王室や貴族への献上はじめ、フランスにある、世界最大の化粧品産業クラスター「コスメティックヴァリー(仏)」、世界最大のファッション業界大手企業体である「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH・仏)」、またオフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(仏)などの仏系企業や団体、国内では、民藝運動の主唱者である柳宗悦らが創設に関わった「銀座たくみ」、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団などの協力を得て活動を展開しており、既に一定の成果を出していますが、プロジェクトは現在も継続しています。

ヨーロッパで神道を思考する

神道の固有と普遍の一端を明らかにするため、平成二十一年(二〇〇九)以来、日本とは文化的背景の全く異なるフランスをはじめとするヨーロッパ各国で、日本の源泉としての神道を紹介しつつ、現地の様々な人々との対話を積み重ねています。

平成二十五年(二〇一五)からは、欧州での直接的な経験と根源的な対話の蓄積によって得られた知見を活かす形で、毎年およそ三十五か国、五〇〇人を超える諸外国の参拝者を藪原神社で受け入れています。